自分の中の「問い」と常に向き合い、あたり前の先にある「記憶に残る一皿」を生み出し続ける。
東京は赤坂にあるヌーベルシノワの先駆け的名店【メゾン・ド・ユーロン】。300種以上の厳選されたワインを取り揃え、中国料理とワインのマリアージュを愉しめる隠れ家的レストランで延べ約20年間、総料理長を務めているのが「炒めの達人」こと阿部淳一シェフだ。
日本が右肩上がりの成長を続けていた時代、町の商店街の一角で製麺業を営む両親のもとで生まれ育った阿部にとって、サラリーマンはむしろ遠い世界の住人だった。
いまだイタリアンレストランやファミリーレストランがない時代背景も影響したのだろう。「燃え上がる炎と向き合う料理人がかっこよく見えた」そんな他愛もないきっかけから、料理人として生きることを決意し、東京会館に入社し修行したのち、シェフになるチャンスが転がり込んできたのはその10年後のことだった。
「先輩から『ある意味ラッキーなことだよ。いいじゃん、店が潰れたって。そんなに深く考えるなよ』と言われたことで、すこし気が楽になったところはありましたね」
青山の「オーセ・ボヌール」で出会った総支配人の鈴木訓氏が独立し、1995年に開店したのが【メゾン・ド・ユーロン】だ。中国料理とは、大皿料理をみんなで取り分けて食べるもの。そんな“常識”を打ち破り、「二人でも食べられる中国料理」をコンセプトにした同店で阿部はシェフとして招かれたのだ。
「調理場は料理を小皿に盛りつける技術を、ホールはワインや料理の提供方法に関する知識を求められるなど、いろいろと大変でした。料理を盛りつけたお皿を拭くのも洋食の人には当たり前でしょうけど、僕らはそういうことを教わっていませんでしたから」
今でこそ中国料理でもペアリング(ワインと料理の組み合わせ)を愉しむ習慣は浸透してきたが、当時は最先端。ベストなヌーベルシノワのあり方を探りながら営業しているような状況だった。
「鈴木さんがお客様目線を徹底する人だったことが幸いしましたね。お客様の情報やお客様からいただいた要望をフロアスタッフが逐一伝えてくれることで僕らも成長させてもらえたように思います」
「火技の中華」において、阿部シェフは“炒め”の肝となる「火・油・水」の扱いにかけては国内屈指との定評がある。野菜を主とした新鮮な旬の食材をふんだんに使い、香辛料は極力抑えてつくられた「ユーロン」の料理は、絶妙な火入れ加減によって、食材そのものの持ち味や食感が最大限生かされているのが大きな魅力。おおらかでやさしい雰囲気を醸し出す有田焼の器が、そのおいしさを引き立てている。
「うちでは、チンジャオロース(青椒肉絲)にタケノコは入れませんし、酢豚にも野菜は一切入れません。限られた食材だけで勝負するといいますか、素材そのものを愉しんでいただくために、余計なものを入れないようにしているんです」
そんな阿部シェフが考える美食とはどういうものなのだろう?
「記憶に残る一皿でしょうか。以前、大阪のお客様がお越し下さった時、『あれ!? 西麻布のお店[A-Jun]と同じ人が作ってるよね』と気づいてくれたのはうれしかったですね」
[A-Jun]とは、阿部シェフが4年ほど、独立開業していた中国料理店のことだ。30年近くシェフを務めてきてもなお、阿部は高みを目指す情熱を失っていない。
「おかげさまで東京に来られるたびに訪れてくださる地方のファンの方もたくさんいますが、全国にはまだまだ届いていないと実感しています。料理人としてはお店で食べてほしいというのが本音ですが、「これを機に新しい食の愉しみ方を提供できればと思っております」
ヌーベルシノワの草分けといえる【ユーロン】とともに歩んできた阿部シェフの25年間は、新しい食の愉しみ方を提案し続けてきた歴史でもあるのだろう。今回、提供するフカヒレの姿煮は、創業以来、提供し続けている看板メニューだ。黒と金、それぞれに甲乙つけがたい魅力がある。
「ご家庭ではなかなか食べられないものだと思うので、できれば余白を感じられる大きめのお皿で特別な時間を愉しんでいただければと思っています。普段、お店に来てくださっているお客様にも、はじめましての皆様にも、何かを感じてもらえればうれしいですね」